女性のスタッフが多い医療機関ですが、避けては通れないのが、妊娠・出産に伴う休業問題。医療機関に限らず、近年は、産休・育休後の復帰制度が整えられてきている会社が多いのですが、他の業界では考えられないトラブルが医療機関では起こります。今回は、実際にその対応に追われて疲弊してしまったA医院のA院長の体験を紹介します。
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◆スタッフからおめでたい報告が!
「先生、ちょっとお話があるのですが…」診察終了後、受付担当のB子から声を掛けられて、A院長は思わず身構えてしまいました。「まさか辞めたいと言い出すのでは…」そんなA院長の心配は杞憂に終わります。
「実は昨日病院に行ったのですが、妊娠が分かりまして…産休に入りたいのですが…」退職の話だと思っていたA院長は、思わず胸を撫でおろします。昨年結婚したB子だったので、ある程度心の準備はできていました。
「そうかい。おめでとう!産休について調べたいので、双子かどうか、予定日はいつか、分かったら教えてくれるかい?産休前まで働くと言うならムリしないで働いてね。君が良いというタイミングで他のスタッフにも知らせるよ」以前から心の準備ができていたため、スムーズに祝福の気持ちを伝えることができました。
◆順調に産休がスタート!
B子の赤ちゃんは双子ではなく、予定日も分かり、産前休業のスタート日が決まりました。調べたところ、産後休業が終わったらすぐに育児休業がスタートし、最近は旦那様の育児休業も制度化されているようです。「いやはや…本当に複雑な制度だな…」ため息をつきながらも、何とかスケジュールを組むことができました。
スタッフへの発表もB子への説明も順調に進みました。産前・産後休業と育児休業の期間、保育園が決まらなかった場合の対応もしっかり伝え、休業期間中は無給であることも説明しました。他業界の会社もほぼ無給が一般的だと調べていたA院長は、それが当たり前だと考えていました。就業規則にも「無給」と記載があり、B子も「以前の会社でも産休中・育休中は無給だったので分かっています」と納得してくれました。
「B子に抜けられるのは痛いけど、他のメンバーも頑張ってくれると言っているし。とにかく良かった!」A院長はそう安心し、B子は笑顔で産休をスタートさせたのです。
◆医療業界特有の落とし穴が! ── 取り戻せない信用…
産休がスタートして2カ月ほど経ったころ、B子から電話がかかってきました。「育児休業への移行の確認かな」と思いながら受話器を取ったA院長でしたが、思いもかけない質問を受けます。
「先生。いったいいつになったら出産手当金の申請をしてくれるのですか?」「出産手当金?何だいそれは?」「先生、まさか私の産休期間の14週間は全くの無給ということですか!」「いや…君が産休に入る前にしっかりと説明したよね。お給料は出ないよって」「確かに聞きました。でもそれは出産手当金が出ると思ったから納得したのです」
慌てたA院長は知り合いの社会保険労務士に電話をかけ、経緯を説明しました。出産手当金とは、産前産後休業期間中に無給になった場合、お給料の3分の2程度が支給される制度とのこと。申請期限は2年間あると聞いて一安心したのも束の間、社会保険労務士から思わぬ質問を受けます。「A医院は個人事業ですよね?もしかして健康保険は医師国保ですか」
調べた結果、A医院が加入している医師国保には、出産手当金という制度がそもそも存在しませんでした。「残念ながら、出産手当金の制度がある医師国保は少数派なのです」その言葉に、A院長は愕然とします。「医療業界は女性が多い業界じゃないか…こんな状態ではスタッフが安心して働けないじゃないか…」
落ち込むA院長に、社会保険労務士は優しくアドバイスをしました。「知らなかったことはしょうがないです。最悪なのはウソをついてごまかすこと。正直に伝えましょう。そのうえで、代替案を提案しましょう」出産手当金を貰えたと仮定した場合の概算額を出し、それをベースにB子と誠実に話し合うことになりました。
◆失敗を次に活かすために
後日、A院長から社会保険労務士に報告の電話が入りました。「正直に話をして、しっかりと謝罪をしたら受け止めてくれました。育児休業期間中は雇用保険から給付金が出ると分かり、当院は雇用保険をかけているので安心するように伝えたら、B子も納得してくれました」
「今後、同じことが起きないようにするにはどうしたら良いでしょう?」という問いに、社会保険労務士はこう答えます。「法人化すれば協会けんぽに加入し、今回のようなトラブルはなくなります。ただ、この一件だけで法人化を決めるのは安直です。それよりも、就業規則や賃金規程を見直して、医療業界特有のルールに対応できるようにすることが重要ですね」
「問題は産前産後の期間の給料をどう決めておくかです。現実的には、協会けんぽの出産手当金に相当する額を支払うというルールが良いでしょう。そして、そのルールはしっかりとスタッフに説明する。ここまで気を使ってルール決めをしている医院は、実は多くありません。スタッフさんの安心にもつながりますし、この医院の強みとして求人にもアピールできますよ」
「今回の件はいい勉強になりました。思わぬトラブルでしたが、逆に当院の強みにもできますね!」大きなトラブルを乗り越えたA院長は、明るい声でそう決意を述べました。
◆今回の件から学べる3つの実践ポイント
1.個人事業の医院は産前産後休業期間中の独自のルールに気を付ける
医院や歯科医院は、法人化していなければ協会けんぽではなく、医師国保や歯科医師国保に加入しているケースが多いです。自分の医院が加入する国保の独自のルールを、改めて確認しましょう。
2.最近の法改正に気を付ける
ここ数年「育児介護休業法」の大幅な改正が行われています。そのスピードについていくのは大変ですが、出産や介護などの対象スタッフが出たときのために、すぐに相談できる先を把握しておきましょう。
3.医療業界特有のルールへの対応を明確化する
法律では、産休中の賃金の支払い義務は定められていません。払うも払わないも医院の自由です。ただ、支払わないことで「子育てをしにくい医院」というレッテルを貼られてしまうのも本意ではないはず。産休中の賃金支払いのルールを決めておき、就業規則や賃金規程に明確に定め、医院の強みとして上手にアピールしていきましょう。
医師国保や歯科医師国保に出産手当金がないケースが多いということを知らない院長は少なくありません。特に他業界からの転職者は、当然のように協会けんぽ前提で考えるケースが多いです。しっかりと違いを把握して、事前に対策を立てるようにしましょう。
