「解雇はできた。でも退職金は払え」——知られざる退職金不支給の高いハードル

「解雇はできた。でも退職金は払え」——知られざる退職金不支給の高いハードル

日本では「解雇が難しい」とよく言われます。経営者の方であれば、問題のある従業員を解雇しようとしてもなかなか認められないと実感されていることも多いでしょう。その一方で「退職金は会社が自由に決められる」と思っている経営者も少なくありません。「懲戒解雇したのだから退職金を払わないのは当然だ」と。しかし実は、退職金の全額不支給を認めてもらうハードルは、解雇そのものよりも高いケースもあるのです。今回はその実態を、実際の裁判例とともにご紹介します。(最終的には、退職金の不支給が認められ、解雇された社員が敗訴した例もあります。)

退職金が持つ二つの性格

退職金には、法的に見て大きく二つの性格があります。一つは「賃金の後払い」、もう一つは「功労報償」です。在職中に積み上げてきた労働の対価であり、長年の貢献への報酬でもあるわけです。この性格があるからこそ、裁判所は退職金の不支給について非常に慎重な判断をします。懲戒解雇をしたからといって、その事実だけで自動的に退職金を不支給にできるわけではありません。

多くの裁判例が示している基準は明確です。退職金を全額不支給にできるのは、「それまでの勤続の功を抹消または減殺するほどの著しい背信行為があった場合」に限られる、というものです。言い換えれば、よほど悪質な行為でなければ、たとえ懲戒解雇が有効とされても、退職金の全額不支給は認めてもらえないのです。

「解雇は有効、でも退職金は払え」——驚きの裁判例たち

■ 都市銀行の機密情報漏洩事件(東京地裁・令和2年1月19日判決)

銀行員が社内の重要情報を持ち出し、出版社等に常習的に漏洩したとして懲戒解雇された事案です。第一審は懲戒解雇を有効と認めながらも、永年の勤続の中で勤務態度が格別不良とはいえず、具体的な経済的損失も発生していないとして、全額不支給を認めず、退職金の3割の支給を命じました。悪質に見える行為であっても、長年の功績があれば全額不支給はなかなか認められないのです。

■ 鉄道会社の痴漢行為事件(東京高裁・平成15年12月11日判決)

痴漢撲滅運動に取り組む鉄道会社の職員が、痴漢行為で2回逮捕され執行猶予付き有罪判決を受けたため懲戒解雇された事案です。会社は退職金規程の不支給条項を根拠に全額不支給としましたが、裁判所は「永年の勤続の功を消し去るほどの背信行為とはいえない」として全額不支給を認めず、退職金の3割に相当する額の支払いを命じました。私生活上の犯罪行為は、業務と直結しない限り全額不支給は難しいとされています。

■ 公共交通・着服1000円の懲戒免職事件(大阪高裁・令和6年2月判決)

バス運転手が着服行為(金額はわずか1000円)を理由に懲戒免職処分を受け、退職手当約1211万円余りの全額を不支給とされた事案です。裁判所は懲戒免職を適法と認めつつ、被害金額が1000円にとどまり被害弁償もされていること、29年の在職期間があること、他に非違行為がないこと等を考慮し、全額不支給は「非違行為の程度に比して酷に過ぎる」として違法と判断しました。行為の悪質性と不支給額のバランスが問われることがよくわかります。

経営者が知っておくべき二つの条件

裁判例を整理すると、退職金の不支給・減額が認められるためには、大きく次の二つの条件を満たす必要があります。

① 就業規則・退職金規程に不支給条項が明記されていること

不支給の根拠となる規定がなければ、どれだけ重大な非行があっても退職金を不支給にすることはできません。さらに、「懲戒解雇された場合」に限定した規定では、退職後に非行が発覚したケースや、諭旨退職で処理した場合には適用できないと判断された事例もあります。規定の書き方にも注意が必要です。

② 長年の勤続の功を抹消するほどの著しい背信行為であること

規定があっても、行為の悪質性が十分でなければ全額不支給は認められません。横領・背任・企業秘密の大規模な漏洩・重大なハラスメントなどが典型例です。一方、私生活上の非行や比較的軽微な服務違反では、一部減額は認められても全額不支給まではなかなか認めてもらえません。

まとめ——「解雇より退職金不支給のほうが難しい」を肝に銘じて

「問題社員を懲戒解雇したのだから、退職金は払わなくていい」という考えは、残念ながら多くのケースで通用しません。解雇が有効と認められた事案でも、退職金の全額不支給が否定され、会社側が敗訴するケースは決して少なくないのです。退職金は従業員の長年の労働の積み重ねであり、裁判所はその重みを十分に考慮します。

経営者の皆さまには、次の点をあらかじめ確認・整備しておくことをお勧めします。まず、就業規則・退職金規程に不支給・減額条項が適切に定められているかどうか。次に、退職後に非行が発覚した場合も対象となるよう規定されているかどうか。そして、問題行為の悪質性・背信性の程度をしっかり記録・評価しているかどうかです。

解雇の難しさはよく知られていますが、退職金の不支給にはさらに高いハードルがあります。万一のときに後悔しないよう、日頃から就業規則の見直しと記録の整備を進めておきましょう。