「期待して採用したのに…」──高い期待値と実際の能力に差があるスタッフへの対応は?

「期待して採用したのに…」──高い期待値と実際の能力に差があるスタッフへの対応は?

医療機関、特に医院の場合は、スタッフにマネジメント能力を期待して採用することは少ないようです。ただ、スタッフのもう一段の成長を願う先生も多いはず。今回は、そんな淡い期待を抱いて、思い切った採用にチャレンジしたA医院のA院長の体験を紹介します。

◆A院長のモヤモヤ

A院長は悩んでいました。

とは言え、即刻手を打たなければいけないような深刻な悩みではありません。現状のままでも大きな問題はないのですが…

悩みは現状のスタッフについてです。

みんな仲良く一生懸命働いてくれています。今すぐ辞めて貰いたいと考えるような、いわゆる問題社員は存在しません。

そして、開院から10年が経つA医院では、幸いなことにそんなスタッフは今まで1人もいませんでした。

ただ、A院長のなかで、最近モヤモヤが続いていました。

現状のスタッフは8名。そのうち5名はオープニングスタッフとして入職してくれて、今まで頑張ってくれているスタッフです。

その後入職した3名のも、直ぐに溶け込んでくれました。

ただ、みんな一生懸命日々の業務をこなしてくれるのですが、それ以上の成長意欲も感じられず、リーダー的な存在も育っていません。

A医院の働きやすさもあるのでしょうが、A院長から見ると、何となくぬるま湯体質に見えてしまうのです。

近所の院長仲間に相談すると「贅沢な悩みだなぁ。出来ることなら僕と変わってもらいたいくらいだよ」と言われ、真剣に話を聞いてくれません。

A院長のモヤモヤは募るばかりです。

◆思い切ったチャレンジ!

A院長は遂に決断しました。

スタッフリーダーになり得る高い能力を持つスタッフの採用にチャレンジすることにしたのです。

近隣の医院の求人条件などを調査して、かなり思い切った賃金で求人を出したこともあり、すんなりと期待通りの人材であるB子の紹介を受けました。

B子は大学病院での勤務が長く、多くの部下を持っていた経験もあります。まさにA院長が思い描いていた理想の人材です。

形だけの面接を行い、採用は直ぐに決まりました。

現状のスタッフ以上の賃金額となりますが、マネジメントまでを期待した管理職的な仕事を任せるので、他のスタッフも納得してくれるだろう。これで今までのモヤモヤも解消し、他のスタッフも更にもう一段成長してくれて、明るい未来が待っている。

A院長の期待値がマックスまで高まった状態で、B子の出勤初日を迎えました。

期待値の高いB子ですが、A医院では新人です。

他のスタッフと同様、試用期間は3か月とし、試用期間後の正式採用から本領発揮してくれれば良いと考えていました。

◆少しずつ募る不信感…

「先生ちょっと良いですか?」

オープニングスタッフとして今まで頑張ってくれているC子から声を掛けられたのは、B子の採用から半年ほど経ったころでした。

「昨日の休憩中、皆でお弁当を食べながら話したのですが、B子さんって何故あんなにお給料が高いのですか?」

「それは…B子には大学病院で身に着けた能力の発揮を期待しているし、何と言っても皆をまとめて、成長させてくれるようなマネジメントを期待しているからだよ」

「そうですか…私はマネジメントと言われても良く分からないのですが…スキルに関しては、少なくとも私たちよりも、この医院で一番経験が少ないD子よりも劣っている部分も多いですよ」

「何だって!」

A院長は驚きました。

驚きましたが…実はA院長も薄々そのことは感じていました。

面接の際に聞いた、B子が大学病院で担当してきた分野でのスキルは流石と思わせるものがあるのですが、それ以外の分野でのスキルは正直言って心もとないのです…

「先ほどマネジメントについては分かりませんと言いましたが、他のスタッフも私も正直言って不満が溜まっています。うまく言えませんが…何となく見下されているような気がすると皆が言っています。こんな状態でB子さんのお給料が一番高いって…納得できません」

「う~ん…」

A院長は頭を抱えてしまいました。取り急ぎ話を聞かなければと思い、翌日B子を呼んで面談を行いました。

「君は大学病院で勤務経験が長く、多くのスタッフを部下に持っていたらしいね。私としてはその辺りを、具体的には他のスタッフの見本になる高度な能力の発揮と、他のメンバーをまとめて、成長させてくれるマネジメント能力を期待したのだよ。そのために他のスタッフより遥かに多いお給料を支払っている。ちゃんと頑張ってくれないと困るよ!」

困惑しながらB子は答えました。

「そんなことを勝手に期待されても困ります。求人票にもそんなことは書いていなかったし、先生も面接のときは“期待しているから頑張ってね!”としか言わなかったですよね。私は大学病院での勤務経験しかありません。大学病院では小さな医院みたいに、あれもこれもやってくれと頼まれません。部下を持っていたと言っても、私の上には更に上の人がいて、私は部下に対して細かい指導などは行っていませんよ。大学病院では、外部講師を呼んでの研修など、きめ細かいサポートもあるし、事務長などもいるので、1人の看護師にそこまで期待されていませんよ。」

「それならそうと面接のときに言ってくれないと困るよ!だいたいこんな高いお給料が貰えるということは、そういった働きが期待されていると思わなかったのかね!」

「そんなことは知りません。先生の方こそ具体的に何を期待してくれているのかを伝えてくれれば良かったのです。」

「とにかくこちらが期待した能力を君は持ち合わせていない。他のスタッフにも申し訳ないから、来月からお給料を下げさせてもらうからね」

「そんなこと納得できません。お給料を下げるなら、お給料を下げる根拠となる人事制度は整っているのですか?大学病院では、人事制度がしっかりと整っていて、定期的に説明を受けていました。そんなものもないのに、いきなり“お給料を下げる!”と言われても私は合意しませんからね!」

「うちはそんな大組織じゃないのだ!おい!ちょっと待て!」

A院長の言葉を最後まで聞くことなく、B子は部屋から出て行ってしまいました。

◆トラブルの原因は…

思わぬトラブルに巻き込まれてしまったA院長は、知り合いの社会保険労務士を思い出し、電話をかけました。

一通りの説明を行った後、A院長は、社会保険労務士に聞きます。

「来月からお給料を下げても問題ないでしょうか?」

A院長のかすかな期待も空しく、社会保険労務士は答えます。

「残念ですが無理でしょうね。細かい説明は省きますが、労働条件の不利益変更を行う場合は労働者の合意が必要だと法律で定められています」

「やはりそうですか。そりゃそうですよね…」

明らかにA院長は落ち込んでいます。

「ところで、B子が言っていた人事制度とは何ですか?人事制度があれば賃金を下げられるのですか?」

「人事制度があるから下げられるわけではありませんが、賃金を下げる根拠の1つにはなり得るでしょうね。人事制度とは大きく分けて3つあると言われています。等級制度・評価制度・賃金制度の3つです。簡単に説明すると、等級制度とは、組織の中で役職を決めて、その役職に期待する能力を言語化するものです。評価制度とは、等級制度で言語化したものを、実際の働きで実践できているか?を評価する。賃金制度は、等級制度で定められた期待される働き方にリンクする賃金額を決めるという制度です」

「何となく分かった様な、分からない様な…」

混乱するA院長に対して、社会保険労務士は今回のトラブルの一番の問題点を指摘します。

「難しい専門用語をいきなり使ってしまってしまい、申し訳ありません。お話をお聞きした限り、今回の一番の問題点は、A院長からB子さんへ伝える情報量の少なさですよね。A院長は、こんなに高いお給料を払うのだから普通の働き方じゃダメだと思うのは当たり前だろうと思っている。B子さんは、単純に高いお給料の求人を見つけてラッキーと思ったというところでしょうか。」

「なるほど。私はB子の経歴だけを見て、勝手に優秀な人材だと想像してしまい、期待する能力をちゃんと伝えなかったのが問題だったのですね。いや。B子は決して能力が低いわけではないのです。彼女は彼女なりに一生懸命頑張ってくれてはいるのです。普通のスタッフとして採用したと考えると、優秀な部類に入ると思います。勝手に私がハードルを上げてしまっただけですからね…」

◆失敗を次に活かすために

「それにしても、B子のお給料を下げられないとなると、今後どうすれば…この高いお給料のまま、ずっと雇い続けなければいけないのでしょうか?他のスタッフの不満も溜まります…」

途方に暮れるA院長に社会保険労務士は提案を行います。

「今から人事制度を作ると、それなりに時間がかかってしまいます。まずはB子さんに期待する能力の言語化を行いましょう。そのうえで、私の方で簡単な通知書のひな型を作りますので、それを使って、しっかりと説明を行いましょう。そして、例えば最低6カ月後にここに記した能力を身に付けること。もしその能力を身に付けていないと判断した場合は、賃金をこれ位に下げると説明して、何とか合意をもらいましょう。B子さんの成長をフォローするために、外部講師による研修を入れるなど、医院からの補助も併せて提案すると良いかもしれませんね。本来はこういったことは、面接の時に行えば良かったのですがね」

「そうですね。期待値の高い人材だからこそ、面接の際のきめ細かい説明が必要だったのですね。B子には粘り強く説明してみますので、言語化のサポートと通知書の作成をお願い致します。あと、今後のために人事制度の作成もお願いできますでしょうか?」

「ありがとうございます。全力でサポートさせて頂きます。」

「ところで、人事制度を作るのはかなりのコストと時間がかかるのでしょうね…」

「いや。その組織の規模に合わせたシンプルな物を作れば良いと思いますよ。中小企業には、細かすぎる人事制度はお勧めしません。細かく作りすぎると運用が回らなくなります。作りっぱなしで運用されない人事制度は意味がありません。A医院の規模ですと、スタッフも巻き込んで、オリジナルでシンプルな物を作ることをお勧めします。最近は生成AIを使って、人事制度作成の作業量も大幅に削減できますよ」

◆今回の件から学べる3つの実践ポイント

1.期待通りの人材が来てくれた時ほど落ち着いてしっかりと説明を

期待通りの方が面接に来てくれると「取り逃してはならない」と思い、採用を急いでしまうことがあります。優秀な人材を確保するためにスピード感は大切ですが、そんな時こそ冷静に。しっかりとこちらの期待する能力を、書面を活用しながら伝えましょう。しっかりとした事前の情報提供は、優秀な人材の定着の大きなポイントです。

2.医院の規模に合った人事制度の作成を

「人事制度」と言うと、大企業だけが備えているものだというイメージですが、最近は中小企業にも広がっています。作成・運用が難しいイメージですが、医院の規模であれば、シンプルな物で十分です。シンプルな物をスタッフと一緒に作ることをお勧めします。期待する能力を言語化。期待値に対する働きぶりを評価。評価に応じた賃金を支払う。この流れをうまく回していきましょう。

3.賃金を下げることはハードルが高い

「労働条件の不利益変更」という言葉は聞いたことがあるでしょう。これを実現するには、院長が想像するよりも遥かにハードルが高いです。特に賃金を下げるということは、かなり難しいと考えて下さい。そのハードルを下げることが出来るのが、人事制度の活用と、事前の説明です。人事制度を整えることによって、防げる労使トラブルも多いですし、しっかりとした人事制度があるということは、採用の際にも有利に働きます。

大きな期待をかけて採用したスタッフが、期待した能力を持っていなかったというケースは医療業界に限らずどの業界でもよく聞く話です。

その際にトラブルを起こさないためのポイントになるのが、事前の期待値の説明と、期待を下回った場合の措置について、事前に合意を取っておくことです。事後に合意を取ろうとしても難しいケースが多いです。そのために、シンプルな物で良いので、人事制度の作成をお勧めします。