先日、ある社会保険労務士の方からご相談をいただきました。運送業のクライアント企業に対して、賃金制度の見直しをアドバイスしているとのことです。現状の賃金制度には未払い残業代の請求リスクが潜んでおり、このまま放置すれば重大なトラブルにつながりかねない。だからこそ、より適切な賃金制度への移行を勧めているのだけれど、どうもうまくいかない――というお悩みでした。
「問題があります!変えましょう!」が通じない理由
その社労士さんが試みたアプローチは、こうでした。「今の賃金制度には大きな問題があります。このままでは未払い残業代を請求されるリスクがあります。ですから、この新しい賃金制度に変えましょう」と、率直に伝えたのです。
論理的には正しい。リスクも本物です。それでも、社長は首を縦に振らなかった。「なぜ伝わらないのだろう?」と、その社労士さんは頭を抱えていました。
これは、よくあることです。そしてある意味では、自然な反応とも言えます。
その賃金制度は、たとえどんなに問題があるとしても、長年にわたって会社を支えてきたものです。社長自身が試行錯誤しながら作り上げてきたものかもしれない。あるいは、先代から引き継いだ、会社の歴史そのものかもしれない。そこに、ほぼ初対面の専門家がやってきて、「問題が大きい、変えるべきだ」と頭ごなしに言われたとしたら――気分が良いわけがありません。
人は、自分が大切にしてきたものを否定されると、その内容の正しさに関わらず、心を閉じてしまいます。これは感情の問題であり、論理では解決できません。
まず「認める」ことから始める
では、どうすれば良いのか。私が意識しているのは、まず丁寧なヒアリングを行い、現状をしっかりと「認める」ことから入る、ということです。
今の賃金制度がどのような経緯で作られたのか。社員にどのように機能してきたのか。どんな工夫や配慮が盛り込まれているのか。こうしたことを丁寧に聞き、理解しようとする姿勢を見せることが、信頼関係の第一歩です。
そのうえで、問題点を指摘する際にも、「現状の賃金制度を基本的には継承しながら、改善していく」という形でコンサルティングに入るようにしています。いきなり全否定するのではなく、「これまでの良い部分を残しつつ、ここを少し整えましょう」というスタンスです。
このアプローチを取ることで、社長は安心します。「自分たちがやってきたことを否定されるわけではない」と感じられると、専門家のアドバイスを素直に受け入れる余地が生まれてくるのです。
「気づき」を引き出すのが王道
コンサルティングを続けていると、現状の賃金制度をベースにしながらリスクを減らすことができるケースもあります。しかし、どうしても現在の制度に根本的な問題がある場合は、途中で行き詰まることが多いのも事実です。
そのとき、「今の賃金制度をひっくり返して、新しい制度を提案する」という話を持ち出すのは、まさにそのタイミングで良いと思っています。最初ではなく、一緒に取り組んできた結果として、その必要性が明らかになった段階で。
理想を言えば、社長自身が「やっぱり今の制度では限界があるな」と気づいてくれることです。外から「変えろ」と言われるのではなく、自分で気づいた変化であれば、人は能動的に動けます。専門家の役割は、その「気づき」を引き出すことだと、私は考えています。
しっかりと向き合い、肯定から入り、問題があれば社長自らに気づいてもらう。そこからやっと、新しい賃金制度の模索が始まる。これが、遠回りに見えて実は最も確かな王道なのだと思います。
おわりに
リスクが大きいからといって、いきなり全否定すれば、社長の気分は良くありません。それどころか、心を閉じてしまい、本当に必要な改善すら進まなくなってしまいます。
専門家として正しいことを言うのは大切です。しかし、それと同じくらい、相手の感情に寄り添い、信頼関係を積み重ねることが重要です。賃金制度の見直しは、数字や法律の話である前に、人と人との対話です。そのことを忘れずに、一つひとつの支援に向き合っていきたいと思っています。
